「疑わしいと思う」のが正常な反応

CNET Japan に、Wikipedia についてのアンケート結果についての記事がありました。

 −Wikipediaを「信用している」は4割未満、「知っているが参加経験なし」は9割以上に - CNET Japan

ウィキペディアに記載された内容を信用しているかについては、「信用している」は39.4%にとどまり、「疑わしいと思うことがある(55.6%)」と「基本的に信用していない(5.0%)」を合わせ、約6割があまり信用していないことが分かった。疑わしい、または信用していない理由としては、「記載された内容が自由に改変可能な為(40.0%)」が最も多く、次いで「中立的な立場ではないと思えるから(38.5%)」、「調査機関を利用した情報ではない為(9.8%)」が多く挙げられている。

まず Wikipedia に限らず、「情報」というものに対して何の疑いも持たずに全面的に信用してしまうことの方が危険ではないでしょうか。
「疑わしいと思う」というのが正しい反応であると私は思います。

この「疑わしいと思う」ことについては、たとえその情報が政府発表のものであろうとも、無防備に全面信用できるものではないはずですから、理由に上げられているものはあまり意味がないと思います。

私がこの記事を読んで思ったのは、「どの部分が疑わしいのか」「どの部分は信頼してよいのか」を自分で判断するための思考能力と情報整理能力を読み手が有しているかどうかが重要なのだろうということです。


真に中立な情報など、なかなかあるものではありません。
少なからず、情報発信者の何らかのインセンティブが働いた情報になっていると考える方が自然でしょう。今のようにインターネットで多くの情報を得られ、また発信できる世の中では、本来情報がインセンティブによってバイアスがかかっているものだと再認識した上で、自分に必用な本質を抽出できるスキルがますます問われるのではないかと思っています。