盛り上がりを求めているだけでは得られないモノ

さて、件の記事の濱野さんも最近hatenaダイアリーを始められたようですね。

昨日の日記エントリー「「盛り上がる」かどうかって議論 - しんふぉにゃん」で書いたことに引き続き、もう一言書いてみます。


濱野さんの主張の中で出てくる「真性同期型サービス(なぜかSecond Lifeが代表)」について、確かに人数の絶対数で比較した場合に「過疎」とも呼べる状況に陥りやすいという点は間違っていないと思います。

ただ、逆に考えると、時間を共有している人数が少ないからこそ、相手との共有の度合い・密度が濃いものになるのではないでしょうか。

例えば私自身の場合、Second Lifeの世界で知り合った友達が何人かいます。その友達の中で、プライベートな相談事なども話せる相手もごくわずかですができました。
また、さらにその中の一人とは、一緒にビジネスを立ち上げています。
「友達」という関係の尺度は人それぞれですし、何もインターネットで友達ができることが珍しいことなどとは思っていません。


ただ、「じゃあニコニコ動画ではそういう友達が作れるの?」という一見くだらない質問に、是非濱野さんに答えていただきたいです。

私が思うに、多くの人数が集まる「祭り」の状態は、それに参加することで自分が多数派に属しているという安心感を得られるのと引き換えに、参加している集団と自分の関係密度は限りなく小さなものにしかならないのではないでしょうか。


もちろんこれは、「だからニコニコ動画がダメ」というお話ではありませんし、「だから Second Life がすごい」というお話でももちろんありません。そもそもニコニコ動画へ「友達を作ろう」と思って見に行っている人などいないでしょうから(笑)



何かを比較するとき、比較対象のものの「ある側面」だけを取り上げて比較するということはよくあることなので、濱野さんの議論にしても、「祭りができるサービスか、そうでないか」という点のみに着目した議論である、という前提であればあまり違和感は感じなかったのかもしれません・・・。